漣編集室の給湯室

漣(さざなみ)編集室から小説の話やどうでもいい話をお届けします。

「キンコ・ビーチ」についてのお話

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 「キンコ・ビーチ」を書いてからもう1年、まだ1年という感じがします。あんまり自作について話すのが上手じゃないんですが、今日はそういうことが言いたい気持ちです。やっと手を離れたと言えるかもしれません。また長いのを書いているので。

 「キンコ・ビーチ」は去年の4月に出した小説です。新書サイズで800円、装丁はとっても地味ですがとっても気に入っています。お気に入りの包装紙か何かでカバーをしてやってください。ブックカバーも作りたいんですけど、気持ちにデザイン力(ちから)が追いついていない…

 

 さて、お話は現代。日本。基本的には海辺の町。あるいはその海を探している、探されている人々。浮気男や、失恋したばかりの女の子、たくましい人、弱い人、優しくってちょっと情けない系の男たち、女たちが登場します。

 実はこの連作短編は、最初の段階ではもっと、男性というものに対する怒りに満ちた女性たちの話であったように記憶しています。着想は友達の友達の旦那の浮気かなにかの話で、あるいは浮気したのは女性の方だったかもしれませんが、そういう世界。

 話を聞いているうちに、出たり入ったりするそれ、入れたり入れなかったりするそれ、自分のもので、自分のでない、男女の間で、相手のものか、でもそれは違うような? そしてそれが体のことだけではなくて、心も試されるところがあって…… ええい、もう面倒だ、とれちゃったら楽なのにな、あれが。みたいな、ことを考えていたのです。もっと所属がしっかりしていればいいのにな、と。

 いいえ、読んでいない人にはわかりませんね。いいえ、わかるか。

 

 ああ、話がどんどんずれていきますが、最初はもっと、舞台は西部劇のようなところだったのです。高慢と偏見とゾンビみたいな女たちが、でっぷりした腹のおじさんたちを馬で刑場まで引きずって行き、首に縄をかけます。そして彼らのズボンのジッパーを(時代も入り乱れていますね)おろして、剪定ばさみでやっちゃうのです。ぷちん。ぽきん。ぽーい。

「ごめんね、でもそういう時代だから……」

 そういう時代だから、そう言って生きていき、死のうとしている男、女性たちの怒りについての娯楽、あったかもしれない世界……

 女が愛する、あるいは、あってもいいと許可する安全な男にだけ「それ」の存在を許す、ときどきちょっかいを出す、気に入らなければ取り上げる、素敵な世界について書こうと思っていたのでした。男尊女卑社会への警鐘? いえまさかそんな。でもそういった女の世界を見慣れることは大事だと思っています。

 わたしは時代劇が結構好きなんですけれど、でも「昔本当にそうだったから」と言ってあんなに、かしずく女や性を武器にする女、才能があっても世に出られない女ばっかり取り上げてちゃいけない気がするんですよ、そういうのを「見慣れちゃう」から、ってまた話が羽ばたきます。

 

 もう無理に話を戻しますが、それで話をどうしようといじっているうちに、最初にできあがったのが「SOKKURI」の案となるものでした。失恋した女子高生は砂浜で元彼のあれに(って、アレに)そっくりななまこみたいなものを拾います。そっくりすぎて、通り過ぎることができなかった。彼女は悲しみと少しの愛を抱いていました。そして実は、少しの復讐心も……

 という、これはこれで面白そうです。読んでいただいた方はわかっていただけると思いますが、彼らにふりかかる出来事は同じなのですが、ぜんぜん違ったお話になったのでした。

 9話の連作短編なのですが、こちらで1話無料で読めますのでぜひ。

 

 http://text-revolutions.com/event/archives/5726

 

 やはり思ったことを書くより、フィクションを書く方が得意みたいです。